2012年09月30日

尖閣諸島が日本領である決定的証拠!

現在、尖閣諸島について、いろいろ報道されてますが、個人的には、過去に学校の授業で尖閣諸島について教えられた記憶はほとんどありません。

なので、尖閣諸島については、ニュース等で報道されるようになって、少しずつ自分で情報を得るようにしてわかるようになってきたのですが、私と同じような人も多いんではないでしょうか?
そんな人のために、ここで簡単に尖閣の歴史を紹介しておきますので、知識の一つとして覚えておくといいかと思います。


この尖閣諸島、中国は領有権を主張してますが、歴史をさかのぼれば、尖閣が日本の領土であることには一点の疑いもなく、中国側の主張には歴史的にも、国際法的にも、全く正当性が存在しないようです。


尖閣は元来、全くの無人島だったそうです。
1884年(明治17)、福岡の実業家・古賀辰四朗氏によって開拓が開始されました。
その後、沖縄県や海軍がたびたび現地調査を行い、日清戦争の最中の1895年(明治28)1月、日本政府は閣議決定により、尖閣を沖縄県の所轄に決定しました。
(開拓に手をつけてから11年が経過しており、日本政府は極めて慎重に尖閣の領有を決定した)

翌年9月には、内務大臣が古賀氏に30年期限の無償貸与を認可し、古賀氏は直ちに人を送り込み、尖閣の本格的な開発に乗り出すことに。

200人を越える住民が魚釣島に住み、かつお節の製造やアホウドリの羽毛採取を生業としていました。

1919年(大正8)、中国・福建省の漁民31人が難破し、魚釣島に漂着。古賀氏の息子・善次氏らは、彼らを救助し故郷へ送り届けました。

当時の中華民国長崎領事は、島民らに感謝状を贈ったのですが、そこには遭難現場として『大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島』と記されていました。

これが、中国が尖閣を明確に日本領土と認識していた動かぬ証拠なんです!


尖閣は、第二次世界大戦中は、渡航が危険であることから、無人島化しましたが、戦後の米軍占領時代には、久場島と大正島の2島が米軍の演習地として利用され、地権者には契約料が支払われていました。


1972年(昭和47)の沖縄本土復帰と同時に、尖閣の施政権も米国から日本に移管されました。
この時点で、尖閣は完全に日本の領土として復帰したわけなんです。


中国や台湾が、尖閣の領有権を主張し始めたのは1971年から。
きっかけは、1968年に国連関連機関が東シナ海一帯を調査し、尖閣周辺の海底に豊富な石油資源を発見したことから。
それまでは、中国・台湾両国とも、尖閣の領有権を主張した事実は全くなかった。

以上の歴史をみれば、中国側の「尖閣は古来の中国領土である」という主張が真っ赤なウソであることがわかりますね。

先日、中国政府は「日本は、日清戦争を利用して尖閣を盗んだ」と話してたみたいですが・・。






Posted by ひこ at 17:29│Comments(0)
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