2013年01月13日

元巨人・桑田氏が語る「体罰」について

自身の経験から「体罰」について次のように語られてます。


「よく体罰は愛情だとか言いますが、私は愛情だと感じることはなかった。

私は中学まで、毎日のように練習で殴られていました。
小学三年で六年生のチームに入り、中学では一年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。
殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。
今でも思い出したくない記憶です。」

体罰の肯定派の人に対して・・
「指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして、選手生命を失うかもしれない。
それでもいいのですか?」と。

さらに、
「私は体罰は必要ないと考えています。“絶対に仕返しをされない”という上下関係の構図で起きるのが体罰です。
監督が采配ミスをして選手に殴られますか?
スポーツで最も恥ずべき卑怯(ひきょう)な行為です。
殴られるのが嫌で、指導者や先輩が嫌いになり野球を辞めた仲間を何人も見ました。
スポーツ界にとって大きな損失です。

指導者が怠けている証拠でもあります。
暴力で脅して子供を思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。
昔はそれが正しいと思われていました。
でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか?
何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。
それでは、正しい打撃が覚えられません。
「タイミングがあってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」
そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。
子供が10人いれば10通りの指導法があっていい。
「この子には、どういう声かけをしたら伸びるか」
時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

昔は「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、PL学園時代、先輩に隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。
手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。
でも今は、適度の水分補給は常識です。
スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

体罰を受けた子は、
「何をしたら殴られないで済むか」という後ろ向きな思考に陥(おちい)ります。
それでは、子供の自立心が育たず、指示されたことしかやらない。
自分のプレーの判断ができず、良い選手にはなれません。
そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
殴ってうまくなるなら、誰もがプロになります。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。」と。

最後に、
「アマチュアスポーツにおいて、“服従”で師弟が結びつく時代は終わりました」と断言されてます。



桑田さんの考えには同感です。
スポーツでの指導のみならず、家庭における親の子供に対する指導にも言えることだと思います。

子供を叱る時に、すぐ手を出す親がいるけど、子供にしてみれば・・

自分の思い通りにするには、または、物事を解決させるには、相手を殴ればいい。

ということを自然と体で覚えてしまい、他人に対して、または将来親になった時に子供に対して、同じことをしてしまうように思います。








Posted by ひこ at 11:06│Comments(0)
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